さよなら、おじいちゃん
2001年夏、ナイロビ大学に通い始めて半年が過ぎたころ、母方のおじいちゃんが亡くなりました。自分勝手な、はちゃめちゃジイさんの八十四歳の人生でした。
うちの家族は私が六歳のころから海外に住んでいた。おじいちゃんやおばあちゃんに会えるのは、年に一回。今思うと海外に住んでしまったことで、日本にいる家族をさみしい思いをさせてしまったのではないかと思ったりもしてしまう。父方のおじいちゃんは、私がフィリピンで小学校に通っていたころに亡くなった。タバコもお酒もやらない、毎日寒風摩擦などして健康な人だったのに、肺ガンで亡くなった。そして、母方のおばあちゃんはシカゴの中学生時代。ゲートボール会の会長やらやっていて健康の代名詞みたいな人だったが、病気が判明してから半年ぐらいで亡くなってしまった。末期の大腸ガンだった。病院に行くまで、そうとう痛みなど我慢していたらしい。そして、おじいちゃんの死。大人になってからの出来事だったので、彼の死が私にとって一番印象深かった。
うちのおじいちゃんは、はっきり言って自由人の代名詞みたいな人。自分勝手で頑固。チャキチャキの江戸っ子。いろんな意味で人にめいっぱい迷惑かけて、嵐のように去っていってしまった。タバコは十代のころから吸っているし、若いころはお酒も一晩に一升瓶あけ、野菜が大嫌いで肉とご飯しか食べなかった思いきりの不健康者。戦時中に東京に住むおじいちゃんに田舎の親戚が心配しておイモなどを送って来ても、「イモなんてバカにするな!」と送り返す始末。もうプライド高いし、人に謝ったことはないし、どうしようもない・・・。でも、そこがうちのおじいちゃんって感じで好きだったんだけど。
どうしようもないおじいさんが一番好きだった孫、それは一番どうしようもない孫の私。なぜか小さいころからいつも「あすか、あすか」とかわいがられていた。他のちゃんとした良い子ちゃんの孫達には見向きもせずいつも私の自慢をするので、かなり親戚らには評判悪かったらしい・・・。親戚の「○○ちゃんは何々をしたんですよ。」の言葉に、おじいちゃんは「そ〜かい、たいしたことないな。あすかは何々をしているんだ。」・・・。おいおい、そりゃ私が嫌われるだろ!いったい何で私がそんなに気に入っていたのか分からないが、小学校時代のコロコロデブの成績パッとしないあすかはおじいちゃんのお気に入りだった。
うちのおじいちゃんは昔超ハンサムだった。私と弟が昔の写真を見ても、「げっ!すげ〜、かっこいいじゃん!」とびっくりしてしまうほど当時の人にしてはやたら整った顔をしていてた。

一人だけ斜め四十五度を見て格好をつけているってのが、うちのじいちゃん(下の左から2番目)。

なんか、一人でハーフっぽいんだけど・・・(下の一番右)。
「戦時中は食べてばっかりいたなー。おじいちゃんは食料の係りだったからなぁ。」
おまけに食料車の保護する役だったのに、保護どころか食料車から食べ物を食べまくっていたらしいから仕方がない人である。あげくの果てには適の攻撃から逃げる時に足に弾をくらって、ブーツいっぱいにたまった血を流しながら、病院に着き、麻酔なしで治療されたとか、かなりのサバイバーである。
おばあちゃんが亡くなりずっと一人で家にいたのだが、介護師さんが週に何度か入るようになって、おじいちゃんは老人ホームに行き出した。最初は嫌だ!の一点張りだったのだが、しばらくすると「嫌になっちゃうよ、無理やり行かされて」といいながら、一丁裏の洋服で老人ホームに行くようになった。
「○○さん(じいちゃん)ってダンディーって有名なんですよ。」
老人ホームの人が言っていた。
「ダンディーですか・・・?」(どこがだ、どこが?)
「おじいちゃん、なんか、ダンディーだって噂になっているらしいよ。」
「かーっ!ダンデエーかい?嫌になっちゃうよ、そんな噂なんかたてられて。」
わざわざロンドンで買った真っ赤なセーターに帽子とステッキにトレンチコート着て老人ホーム行っているくせによく言うよ・・・。老人ってかわいいな、って思ったりする。ホント、おじいちゃんといると、いつも笑わせてもらった。
おじいちゃんは海外旅行が大好きなのだが、一緒に連れて行く方は大変だった。「お父さんを連れていくと、必ず何かしでかしてくれるのよね。」とロンドンに住む叔母。
「パリに連れて行った時、最悪だったわよ。レストランでお肉を注文して、大きなお肉に食いついて喉につっかえてくれたのよね・・・。もう、大変だったわよ、お父さん息出来なくて青くなっちゃうし、レストランの人はみんな見ているし・・・。」
「で、どうなったん?」
「大きな声でお父さん!ってどなりながら、思いきり背中を叩いたら、肉がポーンって飛び出して来て。フランス人、みんなすごい顔で見ていたわよ。」
どうやら、肉好きなおじいちゃんは、「小さく切った肉なんて肉じゃない!」と言って譲らなく、でっかい肉にかぶり食いついたみたいである(ライオンかい?)。死にそうになったので、喉につっかえないように小さく切ってあげると、
「ハトのエサみたいだな・・・。」(文句ブーブー)
困った人だ・・・。その後、ホテルでお風呂にのぼせたおじいちゃんは、立ちあがった途端に倒れ、真っ裸のおじいちゃんは足を上げてシャワーカーテンの中でもがいていたらしい。肉を詰まらせて、バスタブに落っこちて大騒ぎをおこしたくせに、まだパリを満喫しきれないおじいちゃん。
「パリで行ったレストラン。あそこはおいしかったなぁー。どこだったかな。昔、連れて行ってもらったんだけどな〜。」
大昔、叔父にパリでレストランに連れてもらい、その後ストリップクラブに連れて行ってもらったらしい。その時のレストランに行きたいって・・・、それって、ただストリップに行きたいだけじゃないの、おじいちゃん?→(エロじいさんでした)
ってな感じで、おじいちゃんとのやり取りは後で聞くと笑えるものが多かった。私は大学を卒業して4ヶ月間だけ、日本に住んだことがある。その時、月曜から金曜は東京で働いて、週末は毎週一人で暮らしているおじいちゃんの介護に行く生活を続けていた。けれど、糖尿病のおじいちゃんのために野菜炒めやらを作ってゆくと、「うまい!」とかなんとか言いながら、何やら箸でつついているだけ。
「食べないの?おじいちゃん野菜ちゃんと食べなきゃだめだよ。」
「いや〜、もうおいしくてお腹一杯だよ。後で食べるよ。」
で、次の週に行くと、この前作ったご飯が冷蔵庫に入ったまま。
「何これ!おじいちゃん食べてないじゃん。人がせっかく作って来たのに!」
「いや〜、あまりにもうまかったんで、しまっておいたんだよ・・・。腐っちゃったかな、じゃあ捨ててくれ。」(あっさり)
「・・・・・・・・・。」(クソジジイ) → 二度と作ってやるかとか思ったね、ホント。
私が日本にいる時、おじいちゃんがハワイに住むうちの親の所に行きたいと言い出した。人と住みたくない、一人で自由に住みたいんだと言うおじいちゃんも、毎日一人じゃさびしいのであろう。それをうちの親に話すと、
「アンタ、ちゃんと責任持って飛行機のアテンドしてよね。」(自分の親でしょうが)
「私が・・・?わ、分かりました・・・。」
このころになるとおじいちゃんは杖なしでは歩けなく、力もだいぶ弱ってきていた。糖尿病もかなりひどくなって、リュウマチの関節の痛みも、かなりひどくなっている。こんな体でハワイなんて行けるのかしらと思い、過保護になると、
「アンタに頼むとろくなことないからな。」
人がせっかく荷造り手伝ってあげようかと思ったのに、憎まれ口だけは健在。かわいさあまって憎さ百倍である。だんだん自由がきかなくなる自分の体に不満がいっぱいで、出来ないけど、何もかも自分でしたがる。しかし、自分でやるととても時間がかかるので飛行場などでは私がすべてやった方が早かった。自分でちゃんとやりたいというおじいちゃんと、すべて私がやった方が早いのにと思う私。今考えると自分で何かをするってことでプライドを保っていたんだと思うが、いつも言い合いしててハワイに着くころにはお互いだんだんムッとしてきた。
「なんでアンタ達だけ肉を食べているんだっ?」
ハワイに行った時のおじいちゃんのリュウマチはかなりひどく、肉や魚介類を食べると関節の痛みが出ていた。しかし、おじいちゃんは、
「関節の痛みと肉は関係ない!なんでアンタ達はそう決め付けるんだ!」
と怒り出す。どうしてもお肉の食べ過ぎと自分の病気は関係ないと思い込みたいらしい。ハワイに着いてからというもの、今まで食事制限されていた人間が私だけだったのに、いきなり母と叔母の合計3人になってしまったからたまらない。
「アンタ達と来るんじゃなかったな。これじゃまるで馬のエサ食ってるようなもんだ。」
テーブルに乗せられたサラダを眺めながらおじいちゃんがため息をついた。どうやらハワイでは思いきりお肉やカニなどが食べれるものだと思ってきたらしい。おじいちゃんの食生活に合わせるためにみんな遠慮していてほとんどベジタリアン状態になっていた。みんなでよってたかっておじいちゃんにお肉を食べさせないので、2週間ほどすると父と叔父が言った。
「かわいそうだから、もうジイサンに肉食わしてやれよ、お前ら。いいじゃないか、手が痛くなっても。自分で肉食って手が痛くなれば分かるだろ・・・。」
ところが、おじいちゃんは分からなかった・・・。うちの父から許しが出たので、その晩、おじいちゃんはカニを嫌っていうほど食べまくった。そして、次の朝私が起きてみると、おじいちゃんは鳥がピチュピチュ鳴いているベランダに一人座っていた。おじいちゃんは耳があまり聞こえない。私が後から近づいているのも気がついていないようである。ベランダのイスに座ったおじいちゃんは、しきりに自分の左手をさすっていた。
「どうしたの、おじいちゃん?」
大きな声で声をかけると、手をさすりながらおじいちゃんは言う。
「いや〜、なんか今日は手が痛くて手が動かないんだよ。」
き、昨日のカニだ・・・。
「昨日無理言ってカニ食べたからじゃないの、おじいちゃん?」
「アンタ、それとこれは違うだろ!関係ないよ!」(嘘をつけ、嘘を)
お肉が食べれなくても、おじいちゃんはハワイを楽しんでいた。砂浜で杖をつきながらビキニのお姉ちゃんを追いかけて行ってしまったり、フラダンスのお姉ちゃんから目が離せなかったり、自分で初めて英語で買い物をしたり・・・。人間、正直でいいな〜となんか見ていて笑えた。見てて楽しいおじいちゃんである。おじいちゃんは最後のハワイ旅行を自分なりに楽しんでいた。
「自分の葬式をしたいんだ。」
日本に帰ったおじいちゃんはまた訳の分からないことを言い出した。自分のお葬式には自分が出れない。自分のお葬式に出るおいしい食べ物を食べれないなんて!じゃあ、生前にやって自分の葬式に出ておいしい物を食べよう、っていうことらしい。
「いや〜、お久しぶりです。今度、私の葬式をしようと思いましてね・・・。来ていただけるでしょうか?」
いろんな人に電話をするおじいちゃん。
「ええ、私の葬式です!」(さぞかし、みんなびっくりしたことだろう)
お葬式をやったころのおじいちゃんは耳がほとんど聞こえなくなって、目も白内障であまりよく見えなくなっていた。コミュニケーションは、補聴器の前で怒鳴るか、かすかに見えている視力での筆記会話しかなかった。体の方もそうとう弱ってきていて、パジャマに着替えるのも一時間ほどかかっていた。自分のお葬式に出たいというおじいちゃんの願いを叶えてあげたいと、うちの家族が全員日本に帰って来ることになった。狭いおじいちゃんの家には、私と弟が一緒に泊まることになった。おじいちゃんと弟と私の三人なんて、小さな時のようである。違うのは、昔はおじいちゃんが私達の面倒を見ていたのが、今は私達がおじいちゃんの面倒を見ていることだけ。歳をとったおじいちゃんは、どんどん小さくなってしまっていた。私が体を支えてあげたりすると、
「痛い、痛い!アンタは力が強過ぎるんだよ。」
立場が完全に逆になってしまっていた。昔は小さな私はおじいちゃんの背中を見て歩いていた。しかし、今は私に支えられなければ彼はまともに歩けない。三人でご飯を食べ、おじいちゃんの壊疽を消毒してあげ、寝るまで三人でお喋りをしていた。耳がよく聞こえていないのは分かっていた。どんなに大きな声でどなってもとんちんかんな返事が返ってくることもあった。でも、三人でお喋りをしたかった。今でも忘れることの出来ないセリフがある。
「アンタは今度行ったらいつ獣医になるんだ。」
「今年から大学が始まるから、五年後にはちゃんと獣医になるよ。」
「五年か・・・。」
「すぐだよ、五年なんて。卒業式には絶対に来てよね。」
小さな沈黙の後、小さくなってしまったおじいちゃんが、誰とにもなくつぶやいた。
「おじいちゃんには、もう時間がないんだよ・・・。」
いつもカラ元気をよそおうおじいちゃんなのに、消えるような声だった。私も自分で分かっていた。たぶん、これがおじいちゃんに会える最後かもしれないことを・・・。
「アフリカか〜、行ってみたいな・・・。」
「遊びに来てね、絶対だよ!」
そう言うのが精一杯だった。おじいちゃんはいなくなってしまう。そんな現実が彼の弱った体を見ていて、痛いほど実感できた。弟がおじいちゃんの身の回りの世話をして、私が料理をしたり、壊疽などの消毒や薬をあげる役割分担をして、一週間が過ぎた。トイレに行くのが間に合わなく廊下でおしっこをもらしてしまったり、風呂場で溺れそうになったり、いろんなハプニングがあった。おじいちゃんにとっては自分の孫達に世話してもらうより、介護師さんの方が気が楽だったみたいである。後で分かったのだが、私達のいる間はあれでもずいぶん頑張ってしまっていたらしい。プライドが高くて自由人だったおじいちゃんが、だんだん子供に戻ってしまう姿はなんとなく複雑な思いだった。
「アンタだろ!おじいちゃんのエビセン食べちゃったのは!」
「ち、違うよ・・・。僕じゃないよ。」
おじいちゃんは弟を怒鳴りつけた。糖尿病で食料制限されているので、前はお菓子なんて食べなかったのに、やたらお菓子を欲しがる。おまけに引きだしやら戸棚やらあらゆる所にお菓子を隠し始めた。まるで冬ごなしをするリスである。あちらこちらから腐ったりしなびたお菓子が出てくる。どうやら、その一つが足りないらしい。
「アンタは、まったく!油断もすきもありゃしない・・・。」
お菓子泥棒扱いされるのも虚しいが、子供に戻ってゆくおじいちゃんを目の辺りにするのは複雑だった。そして、このころからおじいちゃんは幻聴も聞こえるようになった。
「戦時中に歌った歌が聞こえるんだ。」
その後、おばあちゃんの歌い声が聞こえるようになり、最後の方には子守唄が聞こえるようになった。介護師さんが言う、
「死ぬ前の幻聴は、だんだん赤ちゃんの時の思い出までさかのぼっていくのよ。」
そして、私がアフリカに移ってから半年の間、さらにおじいちゃんの病状は悪化した。
「誰か隣の部屋で大勢話しているんだよ。うるさくて寝れないよ。」
「水道管が壊れて、部屋の中に水でびしょびしょだよ。」
幻覚も始まっていた。真夜中に自分の父の言葉を聞く母はびっくりして怖くなってしまったらしい。
「真夜中に隣の部屋に誰かがいるって言うんだけど、誰もいないのよ・・・。」
それは一人で聞いたら、結構怖いかもしれない・・・。
「年よりじゃないんだ!そんな物はいらん!」
ベットに補助をつけるとの話が出た時、そう言い切って譲らなかったおじいちゃんは、結局ベットから落ちて腰を痛めた。介護師さんが来た時、おじいちゃんは床の上で痛みに苦しんでいた。今考えるとこの腰を痛めたのが致命傷だったみたいである。おじいちゃんは即入院だった。
しかし、うちのはちゃめちゃジイサンは、しばらくは病院でも元気だったみたいである。大好きなトンカツを食べたくて病院から逃亡したり、看護婦さんの更衣室に入り込み、
「ソースがないよ、このトンカツ屋」
なんて訳の分からないことを言っていたり、結構しでかしていたらしい。その後、体中の痛みがひどくなり、痛み止めの点滴を打たれるようになった。
「総理大臣になろうと思ってるんだが、どう思う?」
そして訳の分からないことをつぶやく日々とボ゙ーっとする日々が続くようになり、私の知らないうちにおじいちゃんの病状はどんどん悪化していった。
「アンタ、おじいちゃんに一番可愛がられていたじゃん。絶対に日本に会いにいきなよ。」
弟の言葉を聞き、学校が休みになったら日本に一次帰国することに決めた。そして、アフリカから飛行機で三日間かけて、日本に向かった。早朝空港に着き、母に電話をした。
「直接病院に行ってちょうだい。急いでね。後で説明するから!とにかくすぐね!」
鼓動が早くなった。電車の中でおじいちゃんのために持ってきたタイガーアイの数珠のブレスレットを握り締めた。早まる鼓動とは裏腹に電車はゆっくりと進んでいった。病院に着き、言われたとおりの病棟に向かった。病院の中を歩きながら、十年以上も昔に行ったおばあちゃんの入院していた病院を思い出した。
「家族の方ですね。こっちへ急いでください。」
看護婦さんにおじいちゃんの病室に案内された。部屋のドアを前にして、大きく深呼吸した。病状は悪くなっているのは知っていた。どんなにひどくなっていても、明るく接してあげたい。おじいちゃんの姿を見てびっくりしないため、もう一度大きく息を吸い込んだ時だった。ドアが開いて、中から全身青い手術服を来た人が出てきた。マスクをつけている。
「着いたのね・・・。入りなさい。」
母だった。マスクで目だけ見えていた。かすかに涙ぐんでいるような気がした。部屋に入るとおじいちゃんは、ベットで寝ていた。びっくりしてはいけないと思っていたのに、驚きが隠せなかった。半年前に会った時も痩せていたが、さらに顔がげっそりしていた。顔も白くなり、入れ歯を外しているので顔も変わってしまっている。耳はまだ少しは聞こえているのだろうか。顔を近づけて耳元で大きな声で喋った。
「おじいちゃん!あすかだよ、遅れてごめんね!」
おじいちゃんは寝ていた。もう完全に聞こえないのかもしれない。もう一度大きな声で喋りかけようと息を吸い込んだ、その瞬間、
「もう・・・、だめなのよ・・・・。おじいちゃんね、死んじゃったの・・・・。」
おじいちゃんが死んだ・・・?頭の中で何かがグルグルと回り始めた。
「え・・・?いつ・・・?」
そっと頬っぺたを触ってみた。おじいちゃんの顔はまだ温かかった。
「あなたの来る一時間前に・・・。間に合わなかったわね・・・。せっかくここまで来てあげたのに・・・。」
おじいちゃんは三日前から昏睡状態だったという。入院中は、点滴が気に入らなかったらしく、すべて引っこ抜いてしまっていたらしい。腕の点滴も足の点滴も、すべて抜いてしまう。体があまり動かないはずなのに、点滴を外す時だけはちゃんと手を動かしてしまい血だらけになっていた。糖尿のせいで抜いた後の血管はもう点滴の出来る状態ではない。どこの点滴も抜いてしまい、最後は点滴を心臓に打たれて手足を縛られた状態で、ベットに寝ていたらしい。プライドの高いおじいちゃんにとっては絶えられない状態だった。点滴が切れて頭がもうろうとしていない時、おじいちゃんはお医者さんにお願いした。
「この点滴、もう取り外してもらえないですかね?」
「それをとったら、○○さんは一週間ももたないんですよ。それを分かって言っているんですか?」
「もう、うっちゃってください、お願いします。人間らしく死にたいんです。」
おじいちゃんは尊厳死を選んだ。誰が言った訳でもなく、自分で決めたことだった。自分の死を受け入れる勇気、それがおじいちゃんにはあった。点滴が外されると二日間ほどもうろうとしていた頭がすっきりしてもとのおじいちゃんに戻ったらしい。そして、その後、すぐ昏睡状態に陥った。
「○○さんはね、あすかちゃんのことを待っていたんだよ。」
介護師さんが言った。すると、我慢していた涙が溢れ出てきた。
「あすかちゃんがもうすぐ着くよって言い聞かせてきたから、ここまでもったのよ。」
じゃあ、なぜ私が着くまで待っていてくれなかったのか・・・。たったの一時間じゃないか・・・。
「今朝空港に着いた時にね、「あすかちゃんが着いたよ!」って言ったら、昏睡状態になって初めて目を開けたのよ。大きく目を開いて部屋の中であなたを探していたわ。もうここに着いたと思ったのね・・・。」
その後おじいちゃんは二度と目を開けないまま、静かに息を引き取ったらしい。もう命の光がないなんて信じられなかった。また手を触ってみると、さっきとは違ってその骨だらけの手は冷たくなり始めていた。
十年間、彼は一人で暮らしてきた。十年間もの間、毎日同じ食卓で御飯を食べ、同じ壁を眺め、同じ窓の景色を眺め、同じベットで眠っていた。夜になると沈黙が彼を遅い、孤独さや寂しさのベールで彼を包んでいたに違いない。そんな人が子供みたいに駄々をこねた時、なぜもっと優しく接してあげれなかったのか。彼が永遠の眠りにつく前に何度か喧嘩してしまった時のことを誤りたかった。
遺体はおじいちゃんの家に運ばれた。ものすごいスピードでお葬式の用意がされていった。紫色のラン、白や黄色のカーネーション、淡いピンク色の花、大きな白いユリの花。部屋の中の充満するランの匂いにむせかえりそうだった。おじいちゃんのベットの横にはトンカツ定食、エビセン、マンゴー、マイルドセブン、カリントウ、サンドイッチ・・・。何だか訳の分からない物にいっぱい囲まれていた。でも、みんなおじいちゃんが好きだった物だった。その中で彼は永遠の眠りについた。
おじいちゃんの顔は寝ているみたいだった。入れ歯が入らなくなった口元は、かすかに微笑んでいて、痩せて顎のラインがくっきりと見えていた。痛みから解放さてたからであろうか、何故かとても幸せそうな寝顔をしているようでならない。今にもいつものように「お腹空いた」とか何とか言って起きてきそうである。小さな部屋の中に閉じこもって、花の匂いに包まれながらいつまでも彼の顔を眺めていた。まぶたがぴくりと動くのではないか、固まり付いた体が呼吸と共に動きだすのではないか。そう願ってずっと眺めていたのだが、彼の魂はとっくに旅立ってしまっていた。
「仏様はね、亡くなってすぐは、まだ耳が聞こえているって言うんだよ。」
介護師さんが言う。そんなことが医学的に本当なのかは知らない。けれども、その晩、私は一晩中おじいちゃんに話しかけていた。
おじいちゃんの遺体は、彼の生前の希望どおり病院に寄付されることになった。人に迷惑ばっかりかけてきた人生を歩んだおじいちゃんだったが、最後の何年かはいろいろおじいちゃんなりに人を助けたいと思っていたらしかった。自分の死んだ後は検体したいとおじいちゃんは言っていた。それは知っていたが、自分が行っていた老人ホームの人達に検体を勧めていたとは知らなかった。
「自分達は老いているけど、私達が死んだ後に検体することで若い世代の学生に役に立つんですよ。」
そう語っていたらしい。おじいちゃんの進めで検体を決心した人達もいると聞かされた。検体を決心してからも、検体先の大学病院の生徒さん達と会って、これから自分が解剖される若い生徒達と話しもしていたと言う。亡くなった後で、おじいちゃんがいろいろ影の努力をしていたことを知った。なんか複雑な気持ちだった。
お葬式の時に、老人ホームから一人のおばあちゃんが来ていた。
「本当に優しい、いい人だったわ・・・。」
そう涙ぐむおばあちゃんはドキッとするほど、うちの亡くなったおばあちゃんに似ていた。そのおばあちゃんを見て、おじいちゃんは本当におばあちゃんを愛していたんだな・・・、とちょっと涙が出てしてしまった。
おじいちゃんの死は他人から見れば、かっこいいものではなかったかもしれない。でも、体がボロボロになるまで自分のライフスタイルを変えることをしないで病気と戦い、決して弱音を吐くことのなかった彼はすごいと思う。好きな生き方をまげて病気をコントロールしながら生きる人生もあっただろうが、おじいちゃんはあえてそれをしないで自分の人生を歩んだ。最後は自分がいつ死ぬのかまで決めてしまった。彼の死から習うことはいっぱいだった。人間の生き方、「他人がどう言おうがオレはこう生きる」みたいな・・・。すごい強い人だと思った。人間が一生の幕を閉じるというのは、こんなにすさまじいものなのかと考えさせられてしまった。
年よりは本当に宝だと思う。彼らの長い人生経験から学ぶことはいっぱいである。人生について、自分のまげてはいけないもの、そして彼と一緒に過ごした最後の時間から人に対する思いやり、そんなものをいっぱいおじいちゃんから学んだ気がする。頑張っておじいちゃんが天国でも自慢できる獣医さんになろうと思う。
はちゃめちゃじいちゃんの伝説が終わってしまったようで悲しかったが、おじいちゃんは亡くなってからもいろいろハプニング続きのじいちゃんだった。
おじいちゃんが埋葬されて一週間後、親戚との揉め事から彼はお墓から出されてしまった。一週間で墓を追い出される人なんて聞いたことがないぞ・・・。
「いやだ〜、お父さん、お帰り〜。」
墓から追い出されたおじいちゃんのお骨を見ながら、叔母が笑いながら言った。お帰りじゃないでしょ、お帰りじゃ・・・。早くお墓に入れてあげなさいよ、かわいそうだからさぁ・・・。
「死んでからも騒がしいジイサンだよな。なんで墓から追い出されるんだよ・・・。」(by父)
確かに・・・。
手続きやら何やらに時間がかかり、結局おじいちゃんはうちの実家に一年間滞在した後におばあちゃんの位牌と一緒に埋葬された。やっと長い長いおじいちゃんの伝説にやっと幕が閉じたようだった。
そして、かっこつけのおじいちゃんに最後までかっこつけさせてあげたくて、私はおじいちゃんの位牌を少しだけアフリカまで持ってきた。いつか人類発祥の地の上をヘリで飛んで、大地溝帯に位牌をまいてあげよううかと思ってる。

