獣の女医 in アフリカ

3月1日

なにか悪いことが起こっても、そこから学ぶことは多い。と、また哲学的なこと書いてしまいましょう。昨日の日記に書いたマライカさんのメールに、「今回のケニア暴動事件。明日生きていれるのかな?という長い夜を経験して、こだわりがなくなった」と書いてありました。今回の暴動で、私を含め多くの人が、いろいろなことを学んだと思います。そして、人生の歩み方などについても考える機会が多かったのじゃないかと思う。

え〜と、私はケニアに暴動の真っ最中にいたみんなと違って、一番危なかった時期には、タンザニア出張でノホホンとしてました(おいおい)。でも、帰って来たケニアを見て、いろいろ考えさせられましたよ。なんて言っていいのかな。今まで当たり前にあった「平和」という世界の中にあった、自分自身の「普段の生活」。一人で運転して帰っていたマサイマラの家への道。普通に買えていた物資。いて当たり前だった、マサイマラの観光客。陽気なケニア人の笑顔。そんな、「当たり前」だった、「普通」だったこと。それが、いとも簡単に崩れ落ちてしまうのかというもろさを思い知らされた。ナイロビ大学を卒業してビザが取れないで苦労していた時。追い打ちをかけるように、定期検査で行った病院で「乳がんの疑いがある」と言われたことがあった。イギリスに行って精密検査して、結局違ったのだけど、その時も「当たり前」だった、「健康な体」というものがグラついて、精神的にもかなり落ちたのを覚えている。「健康」もそうだけど、「平和」も頑張って手に入れるものなんだな〜なんて、そう感じるこの2ヶ月。

私も、いろいろなことについての考えが変わったような気がする。変なこだわりとか、自分の中での決めごととか、これはいつまでにしようとか自分の中でパンガ(計画)していたことなど(そこまでないんだけど)、明日が「当たり前」じゃない時には、何も意味のないものだな〜とか思ってしまいました。そして、今のまま、猪突猛進なライフスタイルでいいのではいかと(爆)。元々、あまり危機感を感じない性格だから、「なんとかなるさ〜」というスタンスで生きていて、実際にがむしゃらに進んでいけば目の前のドアが開いて、それをくぐって戦っていると、また違うドアが出て来て、って生きてる、私(ちゃんと計画立てろよ!)。

このドアを開けようか、開けまいか?と止まって考えたり。5年後の自分はどうだとか、10年後はこうあるべきだ、とか。そんな要領いい生き方、私には出来ん・・・。そして、私が住んでいる環境では、そんな先のことまで読めんし。1週間後に何やってるかも分からないのに・・・。つまり、私ゃ、何を言いたいんでしょうかね?大事なのは、「今を一生懸命に生きるってこと」じゃないでしょうか。不器用でも、まっすぐ、「今」を一生懸命生きている人。そんな人が、「明日」を明るくするのでしょう。ケニア人、みんなそうやって生きています。私も、そんなケニア人にあやかって・・・じゃなくて、見習って、もっと自分に喝を入れなきゃいかんわな!いろいろ去年の年末に進めていたプロジェクトの新しいステップ、この暴動騒ぎで資金なくなって見通しつかなくなったけど、3月からまたワクチンキャンペーン始まるので、頑張ろっと!


追伸:
2月11日のゾウの治療の写真をアップしました。